
雨上がりの午後、夏の風が湿った街に吹き抜ける中、私は小さなカフェの窓際席に座っていた。久しぶりの休日、静かな時間を過ごすために選んだこの場所は、相変わらず落ち着いた空気に包まれていた。
そんな時、カフェの扉が静かに開き、懐かしい顔が現れた。彼女の名前は美咲。高校時代の同級生で、私が初めて恋をした相手だった。彼女は少し髪を短くし、大人びた雰囲気を纏っている。
「久しぶり、隆也。」
彼女は私に気づくと、控えめに微笑みながら席に近づいてきた。その笑顔に、あの頃の記憶が一気によみがえる。青い制服に包まれた彼女の姿、廊下で交わした短い会話、そして、あの雨の日の出来事。
「ああ、本当に久しぶりだね。」
私の声は驚くほど自然だった。美咲は隣の椅子に座り、メニューを眺めながら話し始めた。
「偶然だね、こんなところで会うなんて。」
「本当だよ。今もこの街に住んでいるの?」
彼女は頷き、小さく笑った。
「うん、あまり変わっていないよ。だけど、なんだか懐かしいね。」
彼女の視線が私を通り越し、窓の外の景色に向けられる。その瞳の奥には、少しだけ寂しさが滲んでいるように見えた。
「覚えてる? あの日のこと。」
突然の問いかけに、心臓が一瞬だけ跳ね上がる。彼女が指す“あの日”、それが何を意味するか、私にはすぐに分かった。
高校二年生の夏、私たちは放課後の教室に残っていた。クラスメイトたちが去った後の静かな空間で、彼女と二人きりになるのは初めてだった。
窓の外では激しい雨が降りしきっていた。その音だけが私たちを包み込んでいた。
「ねえ、隆也。」
美咲が不意に口を開いた。その声にはどこか切実な響きがあった。
「私、実は…好きな人がいるの。」
胸の奥に突き刺さるような言葉だった。私は何も言えず、ただ彼女の言葉を待った。
「でも…その人には言えない。どうしても。」
「どうして?」
ようやく絞り出した声が、自分でも驚くほど弱々しかった。
「だって、その人……あなたなんだもの。」
彼女はそう言って、私をまっすぐに見つめた。その瞳には、不安と期待が入り混じっていた。
「あの日のこと、覚えてる。」
私はカフェに戻り、美咲の言葉に答えた。彼女は少し目を伏せ、微笑む。
「私も忘れられないの。」
「どうして急にそんな話を?」
「ううん、ただ、昔のことを思い出して…。なんだか、言っておきたかっただけ。」
その言葉に、胸の奥が温かくなった。彼女が覚えていてくれたことが嬉しかったのか、それとも、あの時と同じように彼女の気持ちに触れられたからなのかは分からない。
「美咲、もしあの時、僕がもっと素直だったら、何か変わったのかな。」
「それは分からないよ。でも、こうしてまた会えたから、それでいいんじゃない?」
彼女の言葉は、まるで静かに降る雨のように私の心を満たしていく。短い再会の時間が、二人の過去に新しい光を与えてくれた気がした。
彼女と別れた後、私は空を見上げた。そこには雲ひとつない青空が広がっていた。
忘れられない記憶は、時に心を縛る。でも、それがあるからこそ、未来に進む力にもなる。
私はそっと笑い、歩き出した。彼女が残してくれた温かさを胸に、新しい一歩を踏み出すために。