冬の冷たい風が吹きすさぶある日、私は偶然立ち寄った小さな蕎麦屋で、彼女と出会った。その蕎麦屋は古びた木造の建物で、暖簾が揺れるたびに漂うだしの香りが、外の寒さを忘れさせてくれる場所だった。
「いらっしゃいませ！」
威勢のいい店主の声が響く中、私はカウンター席に座った。注文を終え、出てきた湯気の立つ蕎麦を一口すすると、口の中に広がる温かさに心まで癒されるようだった。その時、ふと隣に座った女性が話しかけてきた。
「ここの蕎麦、初めてですか？」
振り向くと、彼女は柔らかい笑顔でこちらを見ていた。黒髪を肩の上でまとめ、落ち着いた色合いのコートを着ている彼女は、どこか懐かしさを感じさせる雰囲気を纏っていた。
「あ、はい。偶然通りかかって。」
「そうなんですね。このお店、隠れた名店なんですよ。私は週に一度は来てしまいます。」
彼女の言葉に頷きながら、私は湯気の向こうに見える彼女の笑顔に引き込まれていった。
その後、私たちは自然に会話を続けていた。彼女の名前は彩花と言い、この蕎麦屋が昔からの馴染みの場所だということが分かった。話を聞けば聞くほど、彼女の穏やかな声と仕草に惹かれていく自分がいた。
「おすすめは何ですか？」
「うーん、私は天ぷら蕎麦が好きですね。揚げたての天ぷらが、また絶品なんです。」
彩花が頼んだという天ぷら蕎麦が運ばれてきた時、私の空腹感は一層募った。ぷりぷりのエビ天が蕎麦の上に鎮座し、その香ばしい香りが漂ってくる。
「美味しそうですね。」
「良かったら、一口どうですか？」
彼女は箸で天ぷらを少しだけ取り分けて、小皿に乗せて差し出した。戸惑いながらも受け取ると、衣のカリカリ感と中のジューシーさが絶妙で、思わず笑顔がこぼれた。
「本当に美味しいです！」
彩花も嬉しそうに頷き、自分の蕎麦を一口啜る。その仕草に、何か特別な親近感を覚えた。
その日以来、私たちはよく蕎麦屋で会うようになった。ある時は、季節限定の山菜蕎麦について語り合い、またある時は、夏の冷たい蕎麦がいかに美味しいかを熱心に語った。
「蕎麦って、ただの食べ物じゃない気がします。」
ある日、彩花がふとそんなことを言った。
「どういう意味ですか？」
「なんだろう、蕎麦を食べると心がほっとするというか。食べるたびに、何か新しい気持ちになれる気がするんです。」
「それ、分かる気がします。特に、ここで食べる蕎麦は特別ですよね。」
彩花は笑顔を浮かべながら頷いた。その笑顔に、私はいつしか特別な感情を抱くようになっていた。
そして春が訪れたある日、私は思い切って彼女を蕎麦屋以外の場所に誘った。
「もし良かったら、今度一緒に花見に行きませんか？」
彩花は少し驚いた顔をして、それから笑顔で答えた。
「ええ、ぜひ。」
それからも、私たちは蕎麦屋での食事を続けながら、新しい場所でも一緒に時間を過ごすようになった。桜の下で蕎麦を食べた日、彼女がふとこんなことを言った。
「あなたと食べる蕎麦は、いつもより美味しい気がします。」
その言葉に、私はこれ以上ない幸せを感じた。
蕎麦屋で始まった小さな出会いは、いつしか私たちの心をつなぐ大切な場所になった。季節が巡るたびに、私たちはまた新しい蕎麦を楽しみながら、笑顔を共有していくのだろう。
