
桜の花びらが舞い散る4月のある日、私は彼と出会った。
大学の新入生オリエンテーションの帰り道。人混みの中で私は足を滑らせ、転びそうになった時、誰かが私の腕を優しく支えてくれた。振り向くと、そこには爽やかな笑顔の青年が立っていた。
「大丈夫ですか?」
その声は、柔らかく温かかった。春の陽射しに照らされた彼の横顔が、今でも鮮明に思い出せる。
「はい…ありがとうございます」
私は少し赤面しながら答えた。彼の名前は中村航太。同じ文学部の1年生だった。その日は、お礼を言っただけで別れたけれど、なぜか私の心に彼の優しい笑顔が残り続けた。
それから一週間後、図書館で偶然再会した。私が探している本を探すのを手伝ってくれた航太君は、本が見つかった後も私の隣に座り、一緒に勉強することになった。彼は文学について語る時、目を輝かせる。真摯な姿勢に、私は自然と惹かれていった。
その後も、図書館での勉強は続いた。時には文学の話で盛り上がり、時には互いの故郷の話で笑い合った。航太君は北海道の小さな町の出身で、雪景色の思い出を優しく語ってくれた。私は地元の瀬戸内海のことを話した。穏やかな波と島々の風景を説明すると、彼は「一度行ってみたいな」と瞳を輝かせた。
5月の終わり、図書館での勉強の帰り道。夕暮れ時の campus を歩いていると、航太君が急に立ち止まった。
「山田さん」
いつもの柔らかな声だったけれど、どこか緊張している様子が伝わってきた。
「今度の日曜日、美術館に新しい企画展が始まるんだ。よかったら、一緒に…」
言葉の最後は聞き取れないくらい小さな声になっていたけれど、私の心臓は大きく跳ねた。これは、デートのお誘い?
「行きたいです」
私の返事に、彼の顔がパッと明るくなった。その笑顔を見て、私も思わず微笑んでしまう。
美術館でのデートは、緊張しながらも楽しいひとときだった。展示作品について語り合い、カフェでお茶を飲んだ。航太君は、私の好きな印象派の画家の話を熱心に聞いてくれた。私も、彼の好きな現代アートについて、新しい視点を教えてもらった。
そこから少しずつ、二人の距離は縮まっていった。休日には映画を見に行ったり、新刊を探しに本屋を巡ったり。どんな些細な会話でも楽しくて、一緒にいる時間が宝物のように感じられた。
梅雨の季節を迎えた頃。いつもの図書館で勉強を終え、私たちは傘を共有しながら帰路についていた。小雨が優しく降る中、航太君が静かに話し始めた。
「山田さん、僕、君のことが好きになった」
雨音が周りの音を遮り、まるで世界が私たち二人だけになったかのようだった。
「一緒にいると、心が温かくなる。君の笑顔を見ると、僕も自然と笑顔になれる。これからも、もっと君のことを知りたい」
航太君の真っ直ぐな瞳に見つめられ、私の頬が熱くなる。でも、今度は照れ隠しをする必要はないと思った。
「私も、航太君のことが好き」
傘を持つ彼の手が少し震えた。そっと、私は自分の手を重ねた。
雨は優しく降り続けていた。私たちの新しい物語の始まりを祝福するように。これから先、きっと色んなことがあるだろう。でも、この人となら乗り越えていける。そう確信できた瞬間だった。
歩道に咲く紫陽花が、雨に濡れて美しく輝いていた。